- 田内 志文
- 2010-07-07 (水)
- 小説
5、
「じゃあ今日はAコースとBコース回ってから一本橋な」ヒロミツは気怠そうにそう言うと「じゃあバイク出しちゃって。二号車ね」と続けた。
「二号車かよ」俺は声に出さずに言った。二号車はクラッチが近くて、そのうえギアが入りづらい。
Aコースを回り、課題に差し掛かったところで、ヒロミツは俺に止まるように合図をした。
「橋はどんなだったの?」彼が言った。
「スピードが速すぎてブレーキかけてバランス崩して落下です」俺は答えた。胸の中でどんなに悪態をつこうと、声に出して話すときは丁寧語だ。
「じゃあ一発でダメね」ヒロミツが、分かりきったことを言った。
「普段は渡れるんですけどね。まったく……」俺はムカついて意地を張った。
「普段渡れてもアンダープレッシャーで渡れなきゃダメよ」ヒロミツがサングラスの奥から俺をにらんだ。「じゃなきゃ下手糞ってこと。ちょっとやってみて」
俺の返答を待たずに、ヒロミツは周りを見回して他の教習車が来てないのを確かめると、手を挙げた。言いたことだけ言って人の返事を待たない人間は、俺は嫌いだ。そのムカつきが、俺の反骨心に火をつけた。意地でも規定タイムクリアで渡ってやる。たまたまアンラッキーだったということを、ヒロミツに納得させてやらないと気が済まない。俺はクラッチをゆっくりつなげると、そろそろとバイクを発進させた。
いいぞ、いいぞ。
遠くに視線を固定しながら、ゆっくり進んでいく。橋の向こうの電光掲示板は五秒を超えているが、まだ橋の中央あたりだ。このまま行けば十秒だ。俺はガチガチに固くなりながらも、根性で一本橋を降りた。十秒三。ざまあみろ、ヒロミツめ。頬の筋肉が勝手にゆるむ。ヒロミツは自分のバイクで俺に追いついてくると、真横でぴたりと止めた。
「ぜんぜんダメね。それじゃあ落ちるわけだわ。下手だねえ、一本橋!」ヒロミツの頬の筋肉もゆるんでいる。
「でも十秒でしょ?」俺は食い下がった。
「十秒は十秒でも、あんなに上体がフラッフラしてんだもの。アンダープレッシャーじゃあ通用しねえよ! ニーグリップニーグリップ! ちゃんと太ももでタンク挟んで! 初歩の初歩じゃねえか」ヒロミツが、わざわざ周囲に聞こえるほどの大声で言う。言い返したいが、返す言葉もない。ヒロミツは、こちらに身を乗り出すようにして、さらに言葉を続ける。「昨日それやって落ちたんだろ? 反省しなかったのかよ、あんた。反省したら工夫すんの。同じことやってたらまーた失敗すんでしょうが。はい、じゃあぐるっと回ってもっかい一本橋やって!」
具体的なアドバイスも何もなく、俺はまた一本橋をやらされた。同じように乗り、ニーグリップだけしっかり意識していたら、今度はそこに集中しすぎて橋の中程で脱輪した。
「ニーグリップすりゃあそれで渡れるってもんじゃねえだろ!」ヒロミツが叫んだ。橋の終点あたりから俺に聞こえるように言っているせいで、さっきよりもだいぶ声がでかい。「肘が思いっきり上がってんだよ、ガッチガチになってエルボー肘になってんの!」
俺は「エルボーと肘は同じではないか」と思いつつも、ぎっと奥歯を噛みしめて怒りを堪えた。エルボーと肘が同じだと知らなくても、ヒロミツはやはり教官だ。ここは自動車教習所。たとえ総理大臣が来ようとも、教官こそが絶対権力者なのだ。
さらに二、三回ほど一本橋を渡るころには、俺はもう渡ることよりも怒鳴られないようにすることばかりが気になって萎縮しきってしまい、どんな形であれ橋を渡り切ることすらできない有様になっていた。基本通りにリアブレーキを引きずるようにかけても、減速してふらついてしまい、うまく行かない。怒りと情けなさで、体が震える。ヒロミツはもう怒鳴るのさえやめて、こちらに目を向けようとすらせずパタパタと手を振って「もう一本やれ」と伝えてくる。
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