一本橋ララバイ

  • 田内 志文
  • 2010-07-07 (水)
  • 小説

12、

 子供の俺は、しばらくじっと黙り込んだまま、まばたきひとつせずに俺を見つめていたが、やがて、小さな声で「そっか……」と言った。つぶやきではなく、俺に向けられた言葉だと分かった。

「寂しいけど、なんか分かるかも」子供の俺が言った。「でも、忘れないで。絶対に」

「当たり前だろ、何言ってるんだよ。自分のことじゃないか」俺は首を振りながら答えた。「俺がお前じゃなくなっても、お前が過ごしたことのひとつひとつが俺の思い出になっていくんだよ。俺はもう、昔は楽しかったなんて、情けないこと言いたくないんだ。だから、今を楽しくしなくっちゃいけないんだ。そのために、どうしてもこの橋を……この一本橋を渡り切らなくちゃいけないんだ」

 少年の俺はそれを聞くとにっこりと微笑んだ。気持ちのいい笑顔だと思った。「だよね」彼が言った。「ずうっと分かってたよ。寂しい気がして言えなかっただけで」

 俺は、いつの間にか自分の目に涙が浮かんでいるのに気がついた。胸の奥が、締め付けられるように苦しい。こんな大きな寂しさを感じたのはどれくらい振りだろう。もしかしたら、初めてかもしれない。この寂しさは何かの明確な区切りなのだと分かる。ずっと鳴くこともできずに伏せっていた病気の飼い猫が息を引き取ってしまう前に最後の一声を挙げたを聞いた時のような、とても深く、とても大切な寂しさだ。

「さようなら」自然と言葉が出た。

「うん」少年がうなずいた。「さようなら」

 彼は土で汚れた半ズボンのポケットから小さな種を取り出すと「これ、あげる」と言ってしゃがみこみ、それを一本橋の終点にすっと置いた。そしてもう一度「さよなら」と短く言うと、また微笑んで手を振った。その姿がどんどん薄らいでゆく。だが、俺は手を振り返さずにいた。どうしても、どうしても、このハンドルから手を離すわけにはいかないのだ。

「さようなら」俺がつぶやくようにそう言うと、少年の俺の姿がすっかり消え去った。

 いつの間にか俺の両目からは、止めどなく涙が流れ落ちていた。

 決別を果たした俺は、これから向かうべき一本橋の先を、涙を流しながらにらみつけた。すがすがしい気分だ。体が一回り大きくなったかのように感じる。力が溢れていると分かる。

「よし!」俺は大声でそう言うと、大きくうなずいた。「行くぞ」

 すると、少年の俺が置いた種から緑色の芽がポンと音を立てて顔を覗かせた。芽はみるみる育って二十センチほどに成長すると、瞬く間につぼみをつけ、すぐに可愛らしいピンク色の花を咲かせた。驚いたことに、どういうわけか橋の終点あたりで同じ花が次々と芽を出し、どんどん花を咲かせながら俺のほうに向かってきている。まるで俺のゆく道を祝福するかのように、橋はあっという間に花で覆われた。

 空が明るくなってくる。俺はどっしりとシートに腰掛けると両脚を踏ん張り、咳払いをひとつして準備をした。いつでも来い。俺はもう大丈夫だ。

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