- 田内 志文
- 2010-05-24 (月)
- 小説
5、
昼になるころには、きっと幻だったに違いないとマヤは思うようになっていましたが、それでも、ときどきやけにはっきりとあの姿が思い出されてしかたありませんでした。胸の奥では、幻なんかではなかったことが分かっています。マヤはその夜も、またその次の夜も、朝方の同じ時間に窓の外を見つめました。
怪物は、毎晩同じ時間に風を引き連れてやってきます。家のそばにある影絵のような雑木林が、葉っぱのこすれる音を立てながら揺れるので、すぐに分かります。そして怪物は同じ時間ヴァイオリンを弾き、同じ時間にまた風を引き連れて飛び立って行くのでした。
それに慣れてくると、マヤはいったいあの怪物はなんなのだろうと考えるようになりました。姿は恐ろしいのですが、とくに何かするでもなく、ただヴァイオリンを弾いているだけなのです。怖い姿の生き物は怖いことをするものだと思っていたマヤには、よくわけが分かりませんでした。それにあの曲と、ヴァイオリンの音色です。どちらも彼女の胸にとても自然に、優しく染みこんでくるようです。怪物は確かに怖かったのですが、ヴァイオリンの音色が染みこんだ胸の奥から、なんだかとても優しいような、暖かいような、安心するような、そんな不思議な気持ちが湧き起こってくるのでした。
そんなわけでマヤは今日、こっそりとお父さんの机の引き出しを開けて、双眼鏡を持ってきていました。部屋の窓から教会まではずいぶんはなれていますし、もっとよく見るためには、双眼鏡がなくてはいけません。
いつもより早く窓辺に椅子を運んで腰掛けながら、マヤは膝の上にのせた双眼鏡を握りしめたり持ち上げたりして、何度も教会の塔のてっぺんにピントを合わせました。何度合わせても同じことなのですが、とにかくそうしないと落ち着かないのです。確かめるように、窓の外を見つめてみます。ちょうどよく晴れており、まん丸の月が大きく空に浮かんで、立ち並ぶ家々の屋根を白黒映画みたいにしっとりと濡らしています。
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