- 田内 志文
- 2010-03-24 (水)
- 小説
1、
午後をとおしての薪割りを終えると、エブドン爺さんは背中をドシドシと叩きながら、小屋へと引き返してきた。今日はなかなか仕事がはかどった。この分ならば冬が訪れてあたりが雪景色に覆われてしまう前に、町に売りに行く分と自分が使う分の薪が、すっかり用意できるにちがいない。どうやら今年も無事に年が越せそうである。
爺さんは上機嫌で窓際のテーブルに腰掛けると、いつものように安物のウイスキーを年代物のグラスに注ぎ、テーブルの片隅に置かれた作りかけの木彫りの人形に手を伸ばした。ここしばらく、酒を飲みながらこの人形を彫るのが日課になっている。はじめはただ酒を飲みながらの楽しみとして彫っていたのだが、彫っているうちにだんだんこりはじめてしまった。もうあとは、表面のちょっとした凸凹をていねいにそぎ落として滑らかにしてやれば完成するだろう。
ときどき人形を目の高さに持ち上げて片目をつぶりながら、爺さんはその表面をそっと人差し指の腹でなぞる。そしてノミを滑らせ、また指でなぞり、小さくうなずいてからウイスキーを舐める。
森に囲まれた山奥の小さな小屋でこうして暮らしはじめてから、もう何十年という月日が過ぎた。薪を町に売りに行く以外に人と触れあうこともそうそうなかったが、元々短気で偏屈だったエブドン爺さんはそれで満足していた。こうして風が葉をゆらす音を聞きながら静かに酒を飲んでいると、心が深く深く休まるのである。特に、今夜のように満月の美しい夜は爺さんのお気に入りである。この山の上から見上げると、月がまるで洗面器ほども大きく見えるのだ。それが、爺さんが窓際にテーブルを置いている理由だった。
ふとグラスを口に運ぶ手を止め、窓から満月を見上げる。窓ガラスに映り込んだ灯りが邪魔に感じると、爺さんは体をねじり、右手で窓を押し開けた。ほろ酔いの火照った頬に夜の冷気が心地いい。爺さんは目をつぶると、土と森の匂いを深々と吸い込んだ。地面に目を落としながら、長く息を吐き出す。
と、庭先にぽっかりと月が落ちているのが爺さんの目にとまった。先日の雨で雨水が溜まった木桶に、満月がゆらゆらと揺れているのである。爺さんはいたずらっぽくふふっと笑みを漏らすと、グラスと人形を手に取りテーブルを立ち、玄関をくぐって庭先へと降りた。子供のころに好きだったおとぎばなしを爺さんは思い出していた。どこかの国のお姫様が、誕生日に贈られた人形に恋をする物語である。お姫様は恋い焦がれるあまり人形を人間にしてしまいたくなり、ずいぶんかけてその方法を探すのだ。王宮の図書館で、ついに彼女はその方法を発見する。そして、古文書に書かれた方法にしたがい、満月を映した清らかな泉に人形をつけ、祈ったのである。
「どうかこのお人形さんが命を持ち、人間になることができますように」
お姫様の願いは、満月の魔法となって聞き届けられた。少女は月明かりに照らされながら、ようやく目の前に現れた恋人と幸せにダンスを踊るのだった。
無論、エブドン爺さんがそんな話を信じていたわけではない。ただ酔っぱらった勢いで、ちょっとふざけてみたくなっただけの話である。月の浮かんだ木桶に人形をひたし「この人形が人間になったらどうだろうなあ」と考えてみたところですっかり馬鹿馬鹿しくなり、濡れたままの人形を戸口に置くと、その日は寝てしまったのだった。
そんなわけで、翌朝また小屋の裏手にある薪割り場に向かった爺さんは、あまりのことに腰を抜かしそうなほど驚いてしまった。積み上げてある丸太の上に、昨夜の人形がちょこんと腰掛けていたからである。
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