- 明川 哲也
- 2010-02-25 (木)
- 小説
「芯」の巻、その三
アパートの二階にあるヨウスケの部屋は、ブザーを押しても、ドアを叩いても反応がなかった。五郎兵衛は階段の鉄柵にもたれるようにしてしばらく佇んでいたが、バッグからティッシュペーパーを取り出すと、ボールペンで「きたよ。つまみや」とだけ書きつけ、それをドアの郵便受けに挟み入れた。
ヨウスケは意味もなく街に出て、どこかをぶらぶらと歩いているのかもしれない。五郎兵衛は来た道を戻りながらそう思った。
そういう時は五郎兵衛にもある。
食べ歩きを兼ね、考えがまとまらない時は今でもよく歩くし、東京に来た当時はとにかく見るもの聞くものすべてが珍しく実によく彷徨した。タイ国境沿いの難民キャンプにいた時ですら、さまよい歩くことは日課だった。
ただし、歩くことの意味はずいぶんと違っていた。
キャンプに収容された後、五郎兵衛が各棟を覗くように毎日ほっつき歩いた理由。それは離ればなれになった家族を探すためだった。ポル・ポト派の侵攻、制圧によって都市のすべてから民衆は追い出され、農村の未開地に強制収容された。家族であったことはそこではなんの意味も持たず、それぞれが分かれて暮らすよう別々の開拓地に送られたのだった。
カンボジア全土で行われた都市破壊と人民輸送、これが後に三百万人もの国民を骨に変えた大虐殺の始まりとなるのだが・・・五郎兵衛一家はポト派の兵士が首都に入りこむ前にプノンペンを脱出していた。闇に乗じて国道をベトナムへ抜けようとし、そこでポト派の非常線に引っかかった。
翌朝早く、父親だけが兵士に銃で煽られ、森の中へと連れて行かれた。他にも二、三十人の男たちがいた。みな中高年の男たちだった。一人の老人が「なんのためだ? どういうことだ?」と若い兵士に声をあげ、その場で撃ち殺された。
連れて行かれる父親は、なにも言わずに五郎兵衛たち家族が集められている方を見ていた。これが父親の姿を見た最後となった。
難民キャンプには毎日数百人の新顔が入り込んだ。
大半は戦乱を逃れてきた農村部の人々であったが、都市が壊滅してしまった以上、それは五郎兵衛の一家のように、連行されてきた元都市部の住民かもしれず、また必ずといっていいほどポト派の兵士や、後に政府軍となるフンセン派の兵士も混じっていた。
制服を脱いでしまえば、彼らもまた一人の人間である。圧政下にあって誰もが生存のための方法として獲得し得た、しゃべらない、という姿勢を貫くなら、昨日まで民衆を殺し続けてきた兵士であろうと逃亡農民と見分けがつかなくなる。
キャンプに辿り着いた者たちにとって、これは気味の悪いことであった。
人間は目付きでわかる。
逃げ続けてきた農民と、殺しを請け負ってきた兵士とでは明らかに違う空気があった。しかし彼が口を開かない以上、いったい何派の兵士なのかということもわからない。農民たちに気付かれ、リンチで殴り殺されたポト派の兵士もいた。誰も信用できない。国連監視下のキャンプまで逃げおおせても、みな口数は極端に少なかった。
五郎兵衛は姉や妹や母を日々探しながら、混み合うキャンプ内を念入りに歩いた。もっとも、これは五郎兵衛に限らずたいていの難民が試みたことで、空腹にうずくまるまで、みなそれとなく人の顔を見て歩いたのである。
難民キャンプの食事。
一日に二度の配給があるそれは、もちろん腹が満ち足りるような性質のものではなく、生きていくことをなんとか最低のラインで支えるといった内容だった。
米と雑穀のお粥。あるいはオートミール。小麦粉だけのこともある。それに得体の知れない魚肉がぱらぱらと浮き沈みするスープ。
ポト派の制圧時代は娯楽の一切が禁止され、魚釣りもその対象となった。個人でやったことが発覚した場合は音楽を奏でた者と同じ罪が適用され、死刑となった。それゆえ河川やトンレサップ湖の魚影は濃いはずなのだが、そうした場所ではまだまだ戦闘が続いていたし、地雷の数も半端ではなかった。カンボジア国内に於いては漁業も壊滅したのだ。だからこの魚のスープはきっと、どこか遠い国で肥料に使われる寸前のようなものを冷凍して大漁に運んできたに違いない。スープの傷んだ匂いにむせ返りながら、五郎兵衛はいつもそんなことを想像していた。
その程度の食事だから、家族を探して歩いているとすぐに腹が減ってくる。炎天下ゆえに体力の消耗も激しかった。肋骨の下が大きく窪み、空腹を通り越えた疼痛に襲われ始めると、五郎兵衛は日陰で横になりながら、コオロギやトカゲなど、すこしでも腹の足しになるものはないかとあたりに目をやるのだった。家族のことはいつのまにか頭の片隅に追いやられ、からっと揚げられたコオロギに唐辛子と塩をまぶして食べる至福の瞬間を思い浮かべていた。
ヨウスケが留守だったのは残念だったが、散歩だと思えばなんということはない。五郎兵衛は本来の目的である仕入れのため、懇意にしている食材店のひとつに入った。台湾人が経営するこの「五華宝菜」という店は、中華の材料だけでなく、およそエスニックといって浮かぶ国々の食材を手広く輸入していた。ドアを開けると独特の匂いがするのは、店の奥が水槽になっており、そこで食用カエルやシマヘビ、田ウナギ、上海モズクガニなどを飼育しているからで、時にはそうしたものも五郎兵衛は買って帰ることがあった。
「おっ、五郎兵衛」
台湾人のウーさんが手に軍手、顔にはマスクで現れた。ウーさんは過敏症とかで、この防備をせずに唐辛子の扱いをやると決まってあちこちが腫れてくる。ならば辛いものは苦手かというとそうではなく、スイカやパパイアなども熟せば真っ赤になるまで唐辛子をかける。どうもよくわからない人なのだ。
「今日はナニつくる? ナニ食べさす?」
店を歩きだした五郎兵衛の後をウーさんがついてくる。五郎兵衛はとりあえず切らしていたフクロダケの缶詰をカゴに入れ、キクラゲの水煮も手にした。
「ピータンいいの、入ってるヨ」
「香港の?」
「いや。台北の」
うん、と五郎兵衛は首を横に振る。
「ウーパールーパー、食用の入ったヨ。辛く炒める」
これもまた、うん、と首を横に振る。
「そしたら、カエルどうだ。これは日本の、栃木県の」
良さそうだな、と五郎兵衛はすこし惹かれた。腿をぶつ切りにしてからっと揚げる。レモン塩に唐辛子を少々くわえれば絶品だ。比内鶏やノルマンディーのウサギにも負けない、肉にコクの花が咲く上質な味わいとなる。押しがありながら軽やかなのだ。
カエルね、と口の中でつぶやき、五郎兵衛は足をとめた。
だが、と思う。
果たして今日、カエルを注文する客が来るだろうか。下手物食いという意味ではない。カエルが素晴らしい食材で、それを味わうのは贅沢な時間なのだということを理解できる教養を持った人物・・・うーん、と五郎兵衛は考えこむ。
本屋の大西さんは教養がある方だ。日本人の作家を語らせるとうるさい。でも、リフォーム屋の横山さんは「あいつは評論家の話を鵜呑みにしているだけなんだ」と言っていた。しかも彼は食に関して極めて保守的だった。食べたことのあるものしか食べないと言い張る。客だからこそありがたいが、そういう意味では面白みに欠ける人物だ。
リフォーム屋の横山さんは、五郎兵衛が作るものなら何でもトライするだけの気概があった。だが、高価なものは絶対に注文しないという締まり屋だった。高価、といっても五郎兵衛の店では五百円以上がその部類に入るらしい。カエルは一匹四百円だから、とてもじゃないがその値段ではできない。
あとは今日くるとすれば・・・うん、そうだ、ヨウスケが顔を出すかも。
「ウーさん」
「カエル?」
「やめた」
「なんだ、あんた」
「なんか、芯のある食べ物?」
「芯のある食べ物?」
「自信がなくて、ぶれちゃう人が、それを食べるとびしっとするの」
ウーさんは「え?」と口を開けたが、五郎兵衛の説明を聞いているうちに、「ここか? ここのことか?」と自らの胸のあたりとちょんちょんと突いてみせた。
「そしたら、豚の心臓。ハツ炒め。これ、心臓もらうわけだから力出る。びしっとする」
違うなあ。
五郎兵衛はまた首を横に振った。
「それは日本人が言うところの芯とは、すこし意味が違うと思うよ」
「日本人の芯?」
ウーさんは訊き返して難しい顔になった。
「同じ漢字の文化だけどね。微妙に・・・いや、かなり違うね。芯ね。うーん、脊髄はどうか?」
「今それは出したらいけないことになってるの。牛の脊髄スープ、カンボジアの料理にあるけど」
「そうしたら・・・」
しかし五郎兵衛はあたりを見回しているうち、「あっ」と声を発して顔を緩ませた。今日一日突きつけられていた課題を解くヒントがそこにあるような気がしたのだ。それは考えこむウーさんの肩越しに見えた。
「ウーさん、あれ、もらうよ」
五郎兵衛が指をさすと、ウーさんも後ろを振り向いて、「あーん」と唸ってみせた。
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